【ものの快感。】時代を超えるもの。
先日の七五三〜母方の実家へ帰る、という旅で、姪っ子が七五三に着た着物が、昔私が着たものだった&おばあちゃんが買ってくれたもの、ということに改めて感動。゚(゚´ω`゚)゚。
ものってすごいね。歴史を超えるね。
というわけで、旅先から家に帰ったら慌てて、成人式のときの着物を久しぶりに取り出している。
せめて、防虫剤を取り替えた方がいいような。。
一応、最も乾燥しているところに保管してはいたけど、長襦袢が黄ばんでいるような(´ω`)
着物は多分無事です。。
思い返してみると、成人式の二ヶ月前ぐらいの、この季節に買ってもらったかも。母親、おばちゃん、おばあちゃんの女4人で、国際フォーラムかなんかの展示会で買った記憶が(^◇^;)
その頃、自分が着物を手にするなんてこと考えたことがなかったから、本当にびっくりした……というより、私はそのことの意味が薄らぼんやりしかわからなかった。
ま、19歳だしそうだよね(^◇^;) お茶とかお花をやってるわけじゃないし。普段着ないものが増えるなんて……と思っていた。
先日の七五三の柄も、成人式の柄も、なんとなく優しい色合い。おばあちゃんは孫(私)の人柄を見抜いていたんでしょうか(あれ、自画自賛……)。
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そしてこちらはショールの箱↓
ボコボコですが箱のデザイン好きです。。
古びたセロテープの感じも。
この中に入っているショールは、お母さんが昔使っていたもの。あと、草履もそうだったなあ。これは「私が母親から受け継いだもの」、なのだよね。そしておそらくこれも、次に使う人の元へ行くのだと思う。。
今自分が持っているものは、将来の誰かのものになる可能性もあるということを感じたことで、幸せな気持ちにになったり、ものを大切にしないと、という気持ちになりました(´ω`) ものが絆に気づかせてくれることもあるね。
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逆に、娘のために残さないものの話も、この旅で聞きました。
とあるおうちの話。昔、そのおうちは街で一番北にあったそうな。風の当たりが強いから、暴風の目的で樫の木を植えたらしい。
でも時代がかわり、住宅地ができたので、そこは一番街の外れではなくなったのです。
木を残す必要がなくなり、一人娘が樫の木の世話をするのが大変ということで、引っこ抜いた……という話。
人の都合でなくなってしまう自然もかわいそう……とは思いつつも、世話をされないのであれば、どちらがいいかはわからない。
時代とともに継承されるもの、役割を果たし終えたもの。
断捨離とともに考えていきたいね(*'ω'*)
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