一本の道。
すごい眠い一日だった。急にオムライスが食べたくなり、食べに行ったけど、眠くてすぐ帰ってきた。
昨日の投稿でふと気づいたんだけど、私よく考えたら親と同じことしてんなあって思った。両親は個人経営で八百屋をやってて、朝4時から、22時まで無休で働いてたな。私はそんな長時間労働は真似できないけど。。ちょっと背負っちゃうかもしんない。
もちろん仕事は大切だし、私はそれで食べさせてもらってる。今の仕事って出版文化を通して音楽の楽しさを伝えていくことだっていうやりがいも感じている。目的地は、世界平和っていうのでまだ漠然としてるけど、基本的には周囲の人の幸せが、そこにつながっていくんじゃないかと思って仕事してる。
私は周りを応援する気持ちがあって、人をやる気にさせるパワーみたいのがあるのかなって勝手に思ってる。昔から「看板娘」だったのかな、そういう役割なんだと思う。
ひとつだけ印象深い思い出があって、小さいとき、年末に家族で正月飾りを売った。
うちの店の正月飾りは、ほかの店よりできがよくて値段が高かった。子供心にいいもの売ってるってのが、嬉しかったな。
で、違うところが出している正月飾りは、やっぱり安くてそれなりだった。
だからはっきりと「うちのもののがいい」てお客さんに言ったら、お客さんはかわいいって笑ってくれたけど、そういうことは言ったらダメだと父親に怒られた。
場所を借りて、売らせてもらっていることに感謝しろってことなんだと思うけど…。
一度だけこの話を、前の前に勤めていた会社の社長に話したら、君は商売人として正しいとと言われた。会社からしてみれば、そうだろうな。
なんだろ……これって幼少体験の焼きまわしでもあるのかなって。
一方で近所にホームレスがいて、家族で楽しそうに過ごしてたし、その人たちに賞味期限切れのもの渡してると、ものを売ることの意味を考えて悲しくなったりした。
働かなくても幸せな人もいるんだよな。いろんな生き方があるんだと思った。
だけど今は、なんていうのかな……、役割はあっても、背負う必要はないんだな!って思った。ほんとは一人で本屋で過ごすのが好きだったしなw
そういういろんな気持ちが賞味期限の長い本を売らせてるのかもしれない。
うちの店はショッピングモールに入っていて、いろんな店があった。サンリオやたい焼きを売る店、パン屋、花屋など。スーパーマーケットもね。
本屋にはいつまでもいたんだ。
本屋が好きだったし、逃げ場所でもあった。
「本」は一度書いたら内容を変えられないからある意味「誠実」と思う。
私は「雑誌」には情報の楽しさを教えてもらうことが多い。気がまぎれるようなところもある。いつか、情報のストックとフローについて書きたいけど、道がどうなってどうつながってるかわかんないと、書けないんだと思った。
自分のなかでもこうやって情報を発見したり再編集するんだなあと思う。
なんとなく、一本の道につながってるんだなと思った。
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