算命学と負の感情。
今日は川崎、小杉に営業(*'ω'*)
変な天気〜。だけど、水シリーズの続編を書くにはうってつけの天気かも(・∀・)
この数年で、負の感情みたいなものが存在するってことがわかったのが面白い。
え、あるだろ、、普通。
って思うけど、関わる人たちを無理に好きでいようとすると、意外とこういう感情を無視したり、それが続くと気づかなくなるもんなんだよね。。
ていうか感情全般?
でも、自分とは違うタイプの人や、様々な旅の途中(次元)の人と会うことで生まれる感情にもまた、意味があるのだと思う。
そういう感情があるってことを知った上で、さらに「取り扱い方」がわかった気がする。
でも、この取り扱い方、のほうは、今までもなんとなくやってきたんだよね。
コントロールっていう形で。。
感情と取り扱い方の関係は、0と1の関係に似ていると思った。
なんかAIの二進法みたいだけど笑、
0は反応や刺激。それをそのまま受け取るって感じ。「感情はメッセージ」というけど、自分から自分へ手紙を受け取った感じかな。
1は、0から得たその刺激を、どう知覚して行動するかって感じ。
二進法が実際にそういう実行キーで動いてるかは知らないけどね笑
だけど算命学の見立てではあってるかも。
(私はタロットだけでなくて算命学もやるので……)
算命学は生年月日から1〜60の運命数を産出する。その数字にはそれぞれの意味や個性がある。誕生日で、この生まれの人は、こういう傾向がある、という統計学なのです。
で、十の位が、聞き覚えがあると思うんだけど、いわゆる天冲殺を意味している。
1〜10番までの、十の位がゼロ(正確には10は違うけど……)のグループは戌亥天冲殺といって、心情を察したり読んだりする(かわりに現実面での行動力などが薄かったりする)のがうまい。
つまり、0、目に見えないものを感じる、反応や刺激をそのまま受け取るのがうまいグループ。
11〜20、十の位が1のグループは、申酉天冲殺といって、反応や心情→実際の行動に移していく部類になる。しかし、行動が先立つため、心情が置いてけぼりになりってしまうこともあるのよね。←ちなみにこれ私。
ほか、31〜40、51〜60も、現実面での行動力があるため、心情よりも行動が先立つ。
まあ、そういう人たちは、陽の数字(奇数)の持つ明るさにつながるんだけど。。
行動がパッと先立って、楽しげだったり明るそうだったりする人、いるじゃない?
あ、こいつなんも考えてなくて行動してそーだなー、とか。
考えてはいるんだけど、自分の中の心情を無視してたり、どこかぼーっとしてるとこがあったり、行動に夢中だったり。
こういう人は「あなたって今、○○と思ってるでしょ」と言うと、「え、なんでわかったの?!」とか言う。
典型的な、善人というか(・∀・)。。
ちなみに21〜30の天冲殺は知的な欲求に近い精神性を持ち、行動にもそのような意味があることが多い。
41〜50の天冲殺は精神と行動をうまくマッチさせるためパワフルだが、その力の使い方を学んでいくように見えます。
ちなみに私は(ちょくちょく自分を引き合いに出すな笑笑)申酉天冲殺で、酉年なので年天冲殺。
自分の性質通りに生きようとすると、壁にぶつかりやすいけど、悪運が強かったり霊感が身についていたりする。。
などなど、意味がいろいろあります。
自分らしく生きにくいことへの振り幅の大きさで考えさせられることによって、人に何かを伝達したり表現するような生き方もある。。というものもあるとか。
まあ、そういう形であてはめると、そう考えるというだけだけどね笑
どれがいいとか悪いとかはないんだよね。。
現実と精神のはざまで、動きがパッと見えるからといって、それが全てではないんだな、と算命学は教えてくれたかなあ。
陰陽は、奥が深いと思う。
だから、今どういうスイッチが入って、こういう行動している……というのを客観視することが大切。
その、0の部分である感情を認められるのが、すごい進歩だと思うのだよね。
そこからどう進むかが、自分らしさにつながると思う。
私自身の扱いはもちろんなんだけど、
上記に書いた通り占いの見立てにも奥行きが出そうだし、小説やエッセイも厚みが出そうだよね(о´∀`о)
なんのために占いってあるんだろうと思ってたけど、周囲の状況を的確に読んだり、自分を律するためにあるのかなと思いました。
まあ、用途は人によっていろいろ。
うまく状況を言語化できず、適応障害が出ているからこその占いかなと。
ツールとして、上手に使っていきたいな。
自分のことを理解するための手がかりとかね。。
ふつうに生きていたら、ここまで気づくことはないと思うー。
まあ、いろいろなものに感情を感じやすくなり、それをキチンと取り扱うという意味では良かったし、ありがたいことなのではないかな。
おやすみなさいミ☆
0コメント