【水の歌】雨の日の旅。

7月7日は七夕だけど、あいにくの雨だった。
来年まで好きな人に会えないって、どんな気持ちだろう、と思う。そんな遠く、不確実なご褒美を信じて、仕事を頑張ることができるんだろうか。

「天気の悪い日の旅」を書きたくて外に出たのだけど、雨続きのせいか体調が今ひとつで、家でのんびりと記事を書きつつ、スヌーピーのアプリのゲームで「ハート」が回復したらゲームをして……というサイクルで、寝転がっている。

また紀伊半島に行きたいと思う。
伊勢神宮は母と、熊野本宮大社へは一人で行った。両方とも大雨と、台風で、どうにも神様達に歓迎されていない様子だ。
(半島の出身者から、8.9月に行こうとするからだ、と笑われたけども)

その時父に弱り切った気持ちで電話をすると、心配などなく、例外なく嬉しそうで、必ずこう付け加えるのだった。
「安心しろ、こっちは晴れているから」と。

伊勢神宮に行った日は、不思議なほどにまったく天気など気にせず、ただ、母娘二人旅だね、という話をした。
15時ごろ、名物のうどんを食べているあたりから、急に空が泣き始めた。

神社の売店は時間通りに閉まり、
「聖域なのに、冷たいね」と、母がポツリと漏らした。
なすすべもなく帰途に着いたが、なんと「快速みえ」は、運休。
(この日は名古屋でも十何年ぶりの大雨で、駅前のマンホールが吹き飛んだ、というニュースもあった)

今でも二人で「和食 さと」で何時間も雨宿りをしつつ、夕飯を食べたのを思い出す。
名古屋のマリオットに宿を取っていたけど、伊勢に取り直すべきだったのか、と何度も思った。母は明るい声で、「まずは夕食を食べようよ」と言った。明るい声だった。
家を出て旅行ができるだけ、嬉しいようだった。

数時間後、和食さとに母親を残して、復旧がないかJRの待合室で一人待っていたけれど、さすがに一本ぐらい走らせないとまずいと思ったのか、20時ごろに快速みえが走るという。
私は嬉しくなり、母に急いで電話をした。
今すぐ電車が出てしまうかもしれないから、と母を急がせた。母は「まだ大丈夫よ」と言った。
みえはのろのろと運転再開をし、何度も止まった。結果、名古屋駅に戻ったのは0時を過ぎていた。その後も何度も名古屋には行ったけど、こんな時間に駅にいるのは初めてだった。しかも、母と二人。
「二人で不良みたいね」と言った。

名古屋マリオットアソシアホテルでは、
この雨でキャンセル客が出たのだろう、
スイートルームにランクアップしてくれた。
伊勢から来たことを伝えると、「この雨で、大変でしたね」と労ってくれた。

このスイートルームは、豪華だったことは覚えているのだけど、そのなかでも特に、ガラス張りのシャワー室とお風呂を覚えている。
伊勢神宮内宮へ入る五十鈴川、松阪牛が乗っかった伊勢うどんも、赤福が乗っかったかき氷も、どこからどこまでもが、なんだか水を含んだ旅だったような気がする。

私は天照大神に嫌われたのでは、と思ったけれど、こういうことがあるから旅は楽しい、と母はどこまでも楽しそうだった。
私も、後からしてみれば、瑞々しさを存分に味わえた旅だったかもしれない、と思い直した。そして、何か始まりの予感もしていた。

電話越しに、陽気に聞こえた父の声だけが、妙に弾んでいたのが、不思議というか、不可解だった。 
「安心しろ、こっちは晴れているから」と。

ことばのハンドル。

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