好きなものを語る
アド街見ながらのんびりしてました。
「かまくらカスター」が出てきて、なんだか嬉しいです。
営業という仕事柄、よく歩きます。
特に京都はよく歩く街だなーと改めて思いました。初日の商談会を除いて、二日間でそれぞれ2万歩以上歩いてました…!
おそらく歩かないコツもあるんでしょうが…。バスも系統が多く使いこなせず(三条、四条を間違えてどこへ行くかわからない…)しかも修学旅行生や海外のお客さまが多いので、まだ歩いた方が疲れないのです。
京都の街並みも楽しくて(コラ)。
というわけで、リンパマッサージ&足ツボに行ってきました。整骨院でその施術があるのは珍しく(保険効かないけど…)、膝に負担がかかる理由やストレッチなど教えてもらい。
すっかり足は軽くなり、うまいなあ〜と思いました。
外勤が多いので、不定期ではありますが、足のケアを大事にしているし、何より気持ち良いのです。
それにしても、あまりこういうこと…好きな行動を言葉にしたことがないなあ…と思いました。誰かと話したこともそれほどないし。
少しずつ読み進めている、「白川静 漢字の世界観」(平凡社新書、松岡正剛著、この本結構パンクな内容なんです…)では、「話」と、「語」の違いについて語られています。
「話」は、話すのに舌を使うから…などという簡単なものではなく、実は「口」の部分は、中国の古代のころより、「祭器」をあらわしているんだそうです。祭器の中に入った大切なものを、こじ開ける、という意味があり、「話す」ことが諸刃の剣となることも。。たしかに、話すって自分の気持ちを開示するキッカケにもなれば、共有できる嬉しさもある反面、秘密をバラされたりすることもありますよね。
しかし「語」は、祭器にしっかりフタをしている様子となるのです。たしかに人が「語って」いるときって、ずっと聞く側は聞いていて、隙がない印象かなあと。で、まとめてあとで質問してみたりする。
普段使っている言葉だけど、由来を考えてみると、印象がだいぶ変わりますね。
使い分けも無意識にしているようなしていないような…だけど、この話を知らない人でも、ちゃんと使い分けてる人がいるんです。
ハンドルをちゃんと握ってる人。
私の場合は、理屈っぽいというのか、なんでそれが好きかわかんないと、書いてて意味があるのかなあとか思ってしまったり、説明できないのに好きって言っていいのかなあって考えたり、あと照れちゃうのかもしれない。
今はタロットの「月」のカードが出ていて、自分のなかに普段あるけれど、一度も言葉にしたこともないものを言葉にする頃なんだそうです(今日は本の世界で古代中国行ったり、和の香りを嗅いだり、西洋の占いしたり世界旅行だね!)。
すごいライブ感があるというか、神秘的というか。
広がりが出て、ワクワクしますね。
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