洋服を作ってもらうということ

急に暑くなったり、それでも朝晩は冷え込んだりしていますねー。衣替えもなかなか切り替えが難しく、それを言い訳にして、春夏のお洋服も出しっ放し笑。

だけど、ちょっと防虫剤の匂いのする夏物を出した時に、お気に入りの服に再会するのは嬉しいなー。虫食いとか色あせとかないか怖いけど。それでハンガーで吊るしてみてまた着る日を楽しみにしているんだけど、ふと母親が作ってくれたワンピースを見て、思い出したことがありました。

私は、自分が選んだ布で作ってもらったワンピースばかり着てしまう。それはリバティプリントや、地味な水玉模様。

対して母親が布地を選んで自ら送ってくるものは、リボンがついていたり、薄くて明るい黄色のワンピースだったり。

私は昔から母親が選んだ服が、なんだか可愛らしすぎて苦手でした。こういうふうに可愛くならないといけないのかなあ、と気後れみたいなものがあったり。。
(おそらくなんですが、自分の性別や個性などを受け入れるタイミングも、相当個人差があると思うんですよね)
送られてくるワンピースを見ると、相も変わらずのデザインで、母親にとっては私は、永遠に娘なのだなあ、と思いました。(まあ、他の方に差し上げるワンピースも、かわいらしいデザインなのですが…)。

それは見方を少し変えてみると、母の作る服は、今着てほしい服、過去私が着ていた服なんだなって思う。母親からしてみると、今着ている姿を見たいんだなって。まあ、私だって何かを作って人に差し上げると、感想を知りたいのはありますよね。。作り手感覚も強いのかな。

対して私が作って欲しい服は、私が70歳ぐらいになっても着れる服。リバティプリントなんて最たるもので、自分の髪が白髪混じりになった時こそ楽しんで着たい。そしたら母親がもしいなくなったとしても、ああ、作ってもらったんだよなあ、と思う。
その場だけで着るような服は、作ってもらうのがしのびない…というような気持ちもあるのかな。私は気に入ればずっと着るから。

だからどっちもあっていいなあ、と思うし、母娘でも、思いは同じでも、発露は違うんだなと思いました。

ほかにも、兄が、兄嫁のワンピースを作って!と依頼があり。送ってきた布地は、一瞬ぼやっとした花柄で、母娘で「何これ、こんなテキスタイルでいいの?」と思いましたが、仕上がりはとても素敵で、なんといっても優しい雰囲気のワンピースに仕上がりました。

ああ、これはお嫁さんが優しい気持ちになれるようにという、優しいんだか、ちゃっかりしているんだか分からない兄の気遣いを感じました。そして、その仕上がりを想像できた兄は、なかなかのものだなあと思いました。

男性のデザイナーは、自分が着せたい服を、女性のデザイナーは、自分が着たい服を作る、そんな言葉を思い出しました。

ことばのハンドル。

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