言葉を楽しむ
言葉に強い興味を持っています。
何気なく普段、話したり書いたりするのに使う言葉、だけど、とても不思議だなと思って毎日使っています。
人間の感情って単純なような複雑なような気がするんだけど、それを共通の言語で伝えあったり、適切な言葉で本当の気持ちを言うことも、隠すこともできる。
本当にどうして、言葉って生まれたんだろうと思う。
話す、としての言葉は、生活に必要な事項を伝えるところから発達したのだろうけど、書く、記録する、としての言葉は、果たして生活でそこまで必要だっただろうか。
つまり、情報をフロー、流れるように伝えるのではなく、ストック、貯める、のである。
それはさておいて、今は、本当に必要な言葉はもちろん、素直に表現したものから余分なものまで、沢山の言葉であふれている。 流行語が生まれては消えていく。
かと思いきや、たとえば、好き、や愛してる以外の、相手への好意を示すような言葉に広がりを、個人的にはあまり感じない。普遍的すぎるからだろうか。
そんな素直な感情でさえ、時として言葉が隠してしまうこともあったりする。
言葉で感情の全てを説明することは、まだまだできないんだな、と思う。
でもこれは私個人がそうなだけであって、実際は完ぺきに説明できる人もいるかもしれない。自分が不完全なだけかもしれない。
言葉というものは、創造的な表現の手段か、それとも車のような日常生活に欠かせない実用品なのか。それとも、車が嗜好品になる人がいるように、言葉が嗜好品になる人もいるのだろうか。
たとえば、俳句を詠む人にとっては、言葉は嗜好品かも。訪ねてくる人へ助言する占い師や、小説を書く人、あるいは、それを読んで味わう人…そんな人たちも、実用品の枠をこえて、言葉を楽しむ人たちに違いない。
私にとって言葉とは、とても扱いきれていないのだけど、そこが愛しくて、ジュエリーみたいなものだな、といつも思っている。
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